旧親友と勉強について
※脳内の言葉を発散するだけのしょうもないやつです。
ぼくには親友がいましたが、中学以来、完全に音信不通になってしまいました。
ぼくは、彼に酷いことを言うことも多く、よく喧嘩をしていました。それでも、少なくとも途中までは、ぼくを親友だと言ってくれていたそうです。
あちら側がどっかで踏ん切りをつけてぼくを悪友だと判断したのか、単に嫌いになったのか、はたまた連絡が面倒なだけなのかは分かりませんが、とにかく喧嘩の原因はぼくだし、彼は正しいことばかりしていたんです。
彼は勉強もせず、付き合いも悪く、いつも好きなことばかりしていました。当時のぼくにはそれが惨めに見え、いじめ加害者に近い感情が湧いてきたのです。しかし、ぼくはその内容と価値を知らなかった。
彼の趣味というのは、諦めがちな性格だったぼくにはできないような、本当の意味でおもしろい、将来のスキルに繋がるようなものだったんです。
無教養で小利口な小中学生だったぼくは、何も分かっていなかった。学生のうちにこそ、勉強をサボって打ち込めることがあるならば、それに集中すべきなんです。それによってのみ、本質的な学びはありうると、今は考えています。
学校に通って、学ばせてくれるのを待っているような奴ら(ぼくも含めた一般市民)は、五流です。学校なんか行く前に、好きなことを学んでしまえばいいのに。
それをやっているのが彼です。
結局の所、やらされる勉強なんかクソみたいなもんで、身に付かないんですよ。普通の大卒30代で、ノー勉でセンター数学を解いて、何割の人が何点いけるんだって話です。
逆に、自分の手で得たスキルや知識は、短時間の学びでも非常に身に付きやすい。そっちのほうが疑問が生まれやすく、本質に迫りやすいし、よりドーパミンが分泌されて学習の効率を高めてくれる。脳っていうのはそういうもんです。
勉強は、純粋に楽しんでやってたやつらにしか、ほとんど意味のないものだったんです。それに、大学出たらもう勉強しないっておかしくねぇ?みたいな話もありますが。こういう話は、実はもっと複雑です。
とにかく、知識を身に付けたいなら、自分から、自分の手で、楽しく学ぶ必要があります。
基礎からミッチリなんて、クソof theクソ。そんなノロいことやってるのって、東洋人ぐらいなんですよ。
そんな感じで、ずっと正しいことをしていた彼には申し訳なく思っている、というだけの話でした。